5月12日

チエちゃんありがとう!アキュートもありがとう!僕はバンドから離れているけどメンバーだったという自負はあるので、TILITILIの事が世に出るのはとても誇らしいのです。

今回はバンドの力に頼りました。僕がひとりで曲を発表したところで、10万円を超えるようなお金は生まない事はわかっていた。だから少しでも多くのお金を作りたくてバンドの力に期待したのです。側から見たらバンドを抜けた人間が、その事に落胆した方の気持ちも思う事無く(もちろん思ってない訳はない)いきなり曲を発表する事は、もしかしたら定義から外れているかもしれないけど、正直、そんな事はどうでもいいのだ。限られた環境下で必要な事は、やれる人はやれ、という事。飛行機で具合悪い方がいたら、医者でも元医者でも手を差し伸べるのが責務のように、曲を作れる人がその事で何かの役に立つのならプライドもへったくれも一旦置いといて、やればいいだけの話。挙句楽しかったいろいろを思い出せるし、さらにそれを手にする人が喜ぶなら、そんな幸せな事は無いではないかと思う訳で。大事な事は、自分は、やれる人かどうかというところ。そうではない場合、無理してやらなくてもいいのだ。大事な事は、無理に無理しない事。

そして

今は正解をとても白黒はっきり求める時代になった気がする。

音楽だけではなく、行政、経済も含め、意見が真っ二つに分かれる事が多い時代だ。意見が逆なら馬鹿扱い。そんな心が砂漠のような声は日常でも当たり前に見受けられる。
表現の自由とはなんなのか。自由とは。災害レベルで困った時に優しさが溢れるだけでいいのか。そんなことすら考えてしまう。志村けんさんが亡くなった時のような悲壮感も今は無く、時代は渦を巻きながら何でもかんでも簡単に過去にしてしまう。

自分は正直、今の時代は好きではない。

ロマンスやエロティシズム、ダンディズムのような、第6感に響くような事が少ない。痛みを恐れ、自己顕示欲だけを追い求め、失敗を恐れ、その割自由ばかりはこれ見よがしに求め宣う。補償と自由。すごく負の印象すら受けるのは僕だけだろうか。
自分で掴み取れ。

何より自分が一番、自分を愛してやらなければいけない。そうじゃなきゃ自分の寿命が可哀想だ。

そう思う。そして、

自分を犠牲にする強さを。
人の幸せに幸せを感じるおおらかさを。

音楽から完全に逸脱していますが、こんな日もあっていいじゃない。バンド仲間にも、最近ボヤいてばっかりですよね。と言われるがいいじゃない。だってパッとしないことばかり。正直、音楽で表現することすら限界を感じるような時もあります。俺の音楽、必要無いかもな、って思ったりもします。でも好きだからやっていられる。今はそんな感じです。好きじゃ無くなる事は無いけどね。笑

音楽には素直でいたいし、失礼のないようにいたい。ただ、今の心情の中には、これはちょっとついていけないかも、と思う瞬間がある事だけは書いておきたい。

ちょっと愚痴っぽくなっちゃったね。
最近は朝5時ごろ目が覚めるし、物忘れも激しいし、どんどん命の時間が減っているけど、長生きしたいとは思わないけどまだ自分のためにガッツリ生きて面白い人生にしたいと思っています。あー、面白いことになるんなら、プライドなんて捨てちゃって、腹見せて自分のために生きていきたいなと、痛切に感じている今日この頃です。

TILITILIの音楽には、自分にはできない力がある。

今回は特に感じています。

菅野



「曖昧な記憶」

TILITILI限定ニューシングル 「曖昧な記憶」他、メンバーセレクト合わせ 計6曲収録。税込¥2000 メールでの予約は終了致しました。 お求めの際は指定の店舗にてお求め下さいますよう、よろしくお願いします! -販売店- KESEN ROCK FREAKS 萬福食堂

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